シンギュラリティについて 泉 満明

 シンギュラリティ(Singularity )とは、人工知能が人間の知性を大幅に凌駕する時点や、それにより起こりうる社会や生活の変化を示す概念です。シンギュラリティ(技術的特異点)という用語は、1980年代からAI研究家の間で使用されるようになった言葉で人間と人工知能の臨界点を示す言葉です。この仮想の限界にホモ・サピエンスが到達するのは2045年ころといわれているので、それまでの過程を検討してみよう。

 サピエンスは他のあらゆる生物を支配すると同じ物理的力や化学反応、自然選択の過程に支配されている。自然選択はホモ・サピエンスに、他のどの生き物よりもはるかに広い活動領域を与えたかもしれないが、これまでのその領域にもやはり限界があった。サピエンスは、どれだけ努力しょうと、どれだけ達成しょうと、生物学的に定められた限界を突破できないというのがこれまでの暗黙の了解であった。

 だが、21世紀の幕が開いた今、これはもはや真実ではない。ホモ・サピエンスはそうした限界を超えつつある。ホモ・サピエンスは、自然選択の法則を打ち破り始めており、知的設計の法則をその後釜に据えようとしている。知的設計は以下の3つのどの形

でも自然選択に取って代わりうる。すなわち、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学である。

 生物工学そのものには、何一つ目新しいことはない。人々は、自分自身や他の生き物を作り変えるために、何千年にもわたって生物工学を利用してきた。例えば、去勢である。人類は1万年ほど前から牡牛を去勢し、牡牛は攻撃性が弱まるので農作業に利用やすくする。人類についてはスルタンの宦官などを生みだした。

 だが最近、細胞や核のレベルに至るまで生物の仕組みの理解が深まったため、かっては想像もできなかった可能性がひらかれた。

  遺伝子工学によってさらに驚くべきことが出来るかもしれないだからこそ、倫理、政治、イデオロギー上の問題が多数発生しているのだ。しかも、科学者が自然に取って代わるという発想に衝撃を受けている。現代の悲観的な予言者たちは恐れを知らない兵士や従順な労働者のクーロンを作る独裁政権の出現という、悲惨な事態が起こる展望を提示する。あまり多くの機会があまりに急速に拓かれ、遺伝子を改変する私たちの能力が、その技能を先見の明を持って賢く行使する能力を凌駕しているというのが一般的な印象だろう。そのため私たちは現在、遺伝子工学の可能性のうちほんの一部しか利用していない。遺伝子工学操作されている生物のほとんどは植物や菌類、昆虫といった、弱者たちである。遺伝子工学は生物(人間を含む)の社会構造を変更できる日は、遠くないのではないだろうか。

 ホモ・サピエンスを取るに足りない霊長類から世界の支配者に変えた認知革命は、サピエンスの脳の生理機能に特に目立った変化を必要としなかった。大きさや外形にさえも、格別の変化は不要であった。どうやら、脳の内部構造に小さな変化がいくつかあっただけらしい。ひょっとすると再びわずかな変化がありさいすれば、第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類生み出し、ホモ・サピエンスを何か全く違うものに変容させることになるかもしれない。だが、あまりにホモ・サピエンスに手をかけすぎて、私たちがもはやホモ・サピエンスではなくなる可能性はある。

 生命の法則を変えうる新しいテクノロジーには他にもある。サイボーグ工学もその一つである。サイボーグは有機的な器官と非有機的な器官を組み合わせた生物で、例えば、バイオニック・ハンドを装着した人間がそれにあたる。ある意味で、現代人のほぼ全員がバイオニックである。なぜなら、我々は眼鏡やペースメーカーなどにより補強されており正真正銘のサイボーグに変身する瀬戸際にある。

 生命の法則を変える第3の方法は、完全に非有機的な存在を作りだすことである。その最も明白の例は、独自に進化を遂げられるコンピューウータープログラムであろう。機械学習における最近の進歩のおかげで、すでに今日のコンピュータープログラムは自力で進化できる。プログラムは最初はエンジニアによって書かれたとはいえ、その後は独自に新しい情報を獲得し、新しい技能を独習し、人間の作り手のものに勝る見識をえる。従って、コンピュータープログラムは、作り手が想像すらしなかっただろう方向へと、自由に進化できる。

  そのようなコンピュータープログラムは、学習によって、チェスを指したり、自動車の運転したり、病気を診断したり、株式市場でお金を投資したりできるようになる。そして、これらの分野すべてで、旧態依然とした人間を次第にしのぐようになるかもしれないが、互いに競い会わなければならないだろう。

 そうはいっても、いつの日かコンピューターが意識を発達させる可能性をあっさりと否定するこはできない。意識は常に有機体だけのもと考える理由がどこにあるだろうか。生命は40億年にわたって有機化合物の小さな世界の中で動き回ってきた後、突如、広大な非有機的領域に飛び出し、私たちには想像もつかないような形をとるかもしれない。

 現時点では、これらの新しい可能性のうち、ほんの1部しか実現していない。だが2023年の世界では、文化がすでに生物学の制約から自らを解放しつつある。我々は猛烈な速さで発展している世界の中で、世界に適合するように再調整せざるを得ない。誰もが生物工学、サイボーグさらに非有機的生命の難問に対処しなくてはならないのである。

 その結果サピエンスはいずれも特異点にいたる。それは私たちの世界に意義を与えているものの一切が、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけでなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も起こる段階だ、FAKE情報のあふれる世界、そして、それはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けとなるかもしれない。サピエンスは未来になにかを求めて彷徨して行くのではないでしょうか?

 

参考文献  ユヴァル・ノア・ハラリ 著  サピエンス全史 下 河出文庫

 

 

 

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